東京大空襲の数日前に米軍が撮影した鮮明な航空写真の数々:【読書メモ】写真と地図でめぐる軍都・東京/竹内正浩 著

Posted by localpocky on 28.2015 書評/読書メモ   0 comments   0 trackback





2015年4月刊。
東京大空襲(昭和20年3月)の数日前に米軍により撮影された、東京各地の鮮明な航空写真。

米軍の撮影目的は、大規模な空爆を実行する前の、緻密な空襲計画の立案であった。
この写真が撮影されたわずか数日後に、この写真に写っている大部分の地域が焼きつくされたのだというから、言葉を失う。

掲載されている航空写真には、施設名が細かく書き込まれていて、資料性が高い。
当時、一般に発行されていた地形図では、これらの軍施設は「改描(かいびょう)」により伏せられていたので、当時の地図からは読み取れない貴重な情報だと思う。
それにしても、東京にはこれほど多くの軍関連施設があったとは驚きだ。

当時の大規模軍施設の位置を現在の地図で確認すると、大規模公園だったり、商業施設だったり、自衛隊の敷地だったりする。
それらの場所は、今では「平和公園」のような名前になっている場所もあり、命名には意味が込められているのだとしみじみ思った。

歴史番組などでよく耳にする「東京は焼け野原になった」の意味を、視覚的に理解できる本。


引用メモ


米軍は(中略)昭和19年10月以降、空中写真の撮影をおもな任務とする日本上空への偵察飛行を実施していた。これから紹介する空中写真は、昭和19年11月から昭和20年7月までの期間に、B29を改造した米軍の写真偵察機F13から撮影されたものである。(中略)撮影目的は、綿密な空襲計画の立案だった。(p.5 はじめに)

屋根には白く線が引かれているのが目につくが、これは迷彩である。長大な建物を細かく区切って見せて空襲の目標となるのを防ぐ効果を狙ったものだが、この写真を見ればわかるように、米軍に対してどれほどの効果があったかは、はなはだ疑問である。(p.22)

現在と同じく、原宿には表参道がきれいな一直線を描いている。この写真は5月17日に撮影されたが、わずか8日後、このあたりも焼夷弾で焼き尽くされるのである。人々は明治神宮内苑や外苑、青山霊園を目指して逃げ惑ったが、炎や熱風に見舞われ、途中で次々力尽きていった。欅並木が整然と並ぶ表参道に逃れた人も多かったが、直線で道幅が広かったことが災いし、道路や熱風の通り道となった。炎の熱風が容赦なく避難民に襲いかかったのである。夜が明けた表参道の路面は、避難途中で猛火の犠牲になった焼死体で埋め尽くされていた。(p.86 新宿・代々木)

写真と地図でめぐる軍都・東京 (NHK出版新書 457)

竹内 正浩
NHK出版 2015-04-10
by ヨメレバ


このブログの更新情報を、
RSSフィード RSSFacebookページ FacebookページGoogle+ページ Google+ページTwitter Twitter で流しています。
もし記事を気に入ってくださいましたら、ご覧いただけるとうれしいです!





同じカテゴリの関連記事

  • お名前
  • タイトル
  • メールアドレス
  • URL

  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://nishi248.blog60.fc2.com/tb.php/1180-8812adbe

プロフィール

localpocky

Author:localpocky
電車好きを返上して、にわかに興味が出てきたのが野鳥。姿を見たり鳴き声を聞くと和みます。好きな鳥はハクセキレイ。カワセミを一度この目で見てみたいです。
読書は1週間に1冊のペース。図書館も愛用しています。
2007年にMacにスイッチ。iPhoneも活躍中。
ささやかな楽しみは、手挽きのミルで豆を挽いてコーヒーを入れること。自分で入れたコーヒーはおいしい!
ブログの紹介など → こちら

HSタグクラウド

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

検索フォーム

トラックフィード

track feed リンク元サイト